のらネコキャリコンのお役立ちコラム&ニャース

「私」って何やと思う?
いろいろな切り口があるんやけど、人間関係での、あるいは仕事での「私」っちゅうのは「周りの人たちの評価のまとまり」が「私」なんやないやろか。
「本当の私」とか「私だけが知っている私」とかやないで。
こう考えてみ。例えば無人島に流れ着いて、そこで一人でおったとするやん。するとそこでは他者との「人間関係」は存在せえへんし、他者に対する、あるいは他者と関係する「仕事」は存在せえへん。
人間関係上の「私」や他者と関わる仕事上の「私」は存在せんと、生物学的な、あるいは環境としての「私」がおるだけや。
社会ちゅうんは人間関係や仕事(様々な活動としての広義の仕事)で成り立っとるから、社会における「私」っちゅうのは他の人からの評価の集まり、他者評価の総合体という概念に過ぎひんのやないやろか。
そうするとや、社会においての「私」を知るには、他の人からの評価を知るっちゅうことが「私」を知ることになるんやない?
他の人を「鏡」としてそこに映る「私」を知るのや。例えば服装やとか髪型やとかも他者に映った姿が「私」にも見えるから気を遣うんやないか?
そうは言うても「私の中の可能性」は「私」だけが知っとるんちゃう?と思うかも知れへんな。
確かにそうや。けど、それは他の人に評価される形で表面化せえへんと「私」やなくて単に「私の想像」でしかないんやで。
「私は世界一の経営者である」と「私」が思っとっても、他の人が誰もそう思わんかったら誰も実際に経営を任せてくれへんし、自らの会社の経営をやっとっても「世界一」って他の人が評価せえへんかったら「世界一の経営者」ではないんや。
他にも、「斬新なアイディア」やら「優しい心」を持っとったとしても、それらが文字や絵や映像、あるいは実際の行動や具体物っちゅう他の人にわかる形で表現されへんかったら、それらは無いのと同じなんやで。
社会においては他の人の評価、他者評価が「私」そのものっちゅうことや。せやから最も正確な「私」っちゅうのは過去から現在に至るまでの他の人の評価、他者評価を集めることが必要になってくるんや。
つまり正確な「自己評価」は正確な「他者評価」とほぼ同じっちゅうことやな。
実際はそれ大変やし、事実上無理やろ。せやから、他の人の評価を集めるのが難しかったら「私」は今まで他の人からどんなふうに評価されてきたかを正確に思い出すことが「私」を知る手掛かりになるんやで。
就活の際に「自己分析」をやったり、ESや面接などで「あなたはどんな人ですか」といった感じの事を聞かれることも多いやろうけども、正確に「私」を表現するには正確な「他者評価」を知ること、思い出すことや。
もっともESや面接では好印象を与えるように、多少は「盛」ったり「脚色」したりする必要があるやろ、実際。
そこはテクニックが多少必要になるから、そのあたりは様々なサイトや本やキャリアコンサルタントなんかの話しを参考にしてみてや。
ええか、「自己評価≒他者評価」であることを土台としたうえで「自己アピール」をするんやで。
ちなみに「自己評価≒他者評価」ちゅう現実があるから、「自分を変える」っちゅう方法としては、自問自答して性格や考えを努力して変えることよりも、
他の人に映る自分の『行動・表現』を変える→他者評価を変える→自己評価を変える
っちゅうパターンの方がうまくいくこともあると思うで。
自分は自分やけど、社会の中では「他者との関係性」で存在してるんやで。



