のらネコキャリコンのお役立ちコラム&ニャース

ワイ、小学校の頃に学校で「将来の夢」っていう作文を書かされたとき、「ふつうのかいしゃいんになりたい。えらくなりたくない」って書いてん。
先生は「君たちはみんな輝く宝石や!」みたいな文を冒頭に書いとったんやけど、ワイはそれにめげずにそんな文章を書いたんや。小学校の頃から世の中を冷めた目でみとったんやね。さすがワイ!って感じやな。
ただ、思うんやけど。そもそも「夢がなきゃおかしい」ってのがおかしいんやないかと。実際、特に「大人」は、おそらく毎日毎日を、ただただ生きている人が多いと思うんや。
でも「夢を持て教」が蔓延しとって、脅迫的に「夢を持たなければならない」って感じたり、あるいは「夢を持てない社会だ」って実際はそんなに感じとらん不満を感じてしまっとるんやないかと思うんや。
もちろん夢を持つことは素敵やし、とてもいいことやと思う。また、夢を追い続けとる人も素晴らしいと思うで。ほんまに。
せやけど、夢なんて特に意識しとらんけど、日々の暮らしを楽しもう思て、身近な人との会話やビールやチョコレートに幸せを感じる生き方をしている人の方が多いんやないやろか。
あるいは何もなかった一日がただそれだけで幸せだって感じることもあるやろう?
学生時代はひたすらいろんなことを身に着けようとして活動したり、アルバイトしたり、仲間と騒いだり、家族や恋人や、あるいは一人で楽しんだりで幸せやないやろうか。
社会人は働いて、時には能力や技術や知識や経験を高めて自分が成長し、そして自分の行動が直接的、間接的に誰かのあるいは何らかの社会の役に立っとるだけで幸せやないやろう。
ただそれだけでいいんやないやろうか。
もちろん、夢や目標を高く掲げる人がおらんと社会は発展していかへんかも知れんけど、そういう人ばかりやないとちゃう?みんな社会の枠組みの中で生活して存在して何らかの貢献をしているんとちゃう?
面接やら仕事やらでは目標や夢を語ることも必要な場合があるやろうから、それはそれでその時に自分なりの言葉で語れはええんや。
ただ、日常は、普通の日々の生活では日々を一生懸命に生きる。
そう考えると「平凡で安定した生活」というのはなんと懐が大きくて心地良いもんやと思わへん?
普段は「平凡で安定した生活」を営み、その中から何かきっかけを見つけた人は大きく羽ばたいてもええんやない?
大きくても小さくても目立っていても目立たなくても、あんたなりの人生を楽しめばええねん。



