のらネコキャリコンのお役立ちコラム&ニャース

大企業に勤める40代の管理職の男性が名言を言うとった。
ワイが昔、資格の勉強をしとった時その講座のグループワークで同じグループになった人や。
その人は大企業の管理職やってんけど転職を考えとってな、色んな企業にアプローチをしとったんや。なんやらアメリカの大企業の日本支社にも応募しとったらしい。
それでワイは「今も安定した大企業で管理職をしとるのに、何かやりたいことでもあるんすか?」と聞くと、
「飯食ってクソして寝るだけだったら今のままでいいんだけどね」
ちゅうとった。
やりがいちゅうか自分でなければでけへんこと、もっと創造的な仕事がしたかったらしい。その人はファシリテーションスキルを高める講座なんかも受講しとって、スキルアップ、レベルアップに余念のない人やった。
自己啓発系のセミナーやら本では取り上げられるテーマでもある「自己成長」を追い求めている感じでな、物静かな感じなのに非常に向上心のあるタイプちゅうか「意外と野心家やな」ちゅう印象を持ったな。
そん時な、ワイ考えてみたんや。
そもそも人は『何か使命を帯びてこの世に生まれてくる』のやろうかと。この段階の考えになると自己啓発いうより少しスピリチュアルな感じになるな。マ、ワイも嫌いやないで。
確かに、特に仕事で躓いたり、落ち込んだり、やりがいを失ったときなんかには「私には何か存在理由があるはずだ」っちゅう考えによって奮起して、その考えが状況を救ってくれる場合もある。
しかし、「生きる意味」とか「生まれてきた理由」とか、「使命」とかは生きていくために自分を鼓舞したり、自分の社会的役割っちゅう物語の構築による精神的な安定のためやないんやろうか。
決してそれらが「そもそも存在しているわけではない」と思うんや。
基本的には人間も動物やから、自己保存と種の保存の本能に突き動かされて生きとるだけやないやろうかて思うで。
もっとも、より高みを目指すために「ただ生きるために生まれてきたのではない」「この世に生まれてきた使命があるはずだ」ちゅう考えで行動することが非常に有効な状況も多々あるのは事実や。
せやけど一方で、最低限の栄養が取れるだけ食べれて、最低限の雨風をしのげる住まいがあって、最低限の生活経費分のお金があって、多少の知り合いや友達がおる、っちゅう状況でも十分「ちゃんと生きている」のは確かや。
ようは状況に合わせて考え方も変えてみる、固定せずにうまく「シフトチェンジ」して上手にキャリアライフを過ごすことが「人間らしい」生き方やないかと思うで。
「人は柔軟な考え方で対処して生きていく使命を帯びている」ちゅうのは「存在」しとるかも知れへんな。



