成功するライフキャリア

のらネコキャリコンのお役立ちコラム&ニャース

Bossネコ
自分や他人の性格を決めつけて固定化するな!

「私」ちゅうのはいったいどんな存在なんやろか?

「身体」「性格」「思考」いろいろあるかも知れへんけど、その「本質」って何やろか?

ワイが昔読んだ本の中にこんな文章があったんや。正確には覚えとらんから、科学的には意味がおかしいところもあるかも知れへんけど、だいたいこんな内容やった。

「『脳』がその生物の本質的な存在であるように一般には思えるが、例えばニワトリの脳を他のニワトリに移植したとすると、胸腺から発生する免疫の影響で、移植された脳は破壊される。だから生物の本質は『脳』ではなく胸腺であるのではないだろうか、という考えもできる」

そもそも最強が本質、っちゅうわけでもないやろけど、ともかく人間の生物としての「本質」が脳に限らんちゅう考えはできるし、そもそも「本質」っちゅう考えが根拠不明なのかもしれんな。

ま、全体的にみたら「身体的な特徴や脳の働きの基本的なパターンをもとに、生まれてから様々に経験してきたことの身体的、精神的、知的な積み重ねが『私』」やないかとワイは思うとる。

何が言いたいかいうたら、様々な要素の複合体が「私」なんやから、抜き出されたある特定の情報だけが「私」やないっちゅうことや。つまりは「確定された特定の誰か」ではないっちゅうことや。

せやから「私はこういう人」「あの人はこんな性格」「この人はこんな考え」ちゅうのはある状況におけるある状態の一側面やから、それがその人の「すべて」ではないんやで。

でも、それを「すべて」やて思うて、「私」や「あの人」を評価するから、「私らしくない」とか「あの人の意外な側面」っていう評価が出てくるんやなやろか。

もっとも、「正体不明」な「私」や「あの人」のままやったら捉えどころがのうて不安になるから、それを回避するためにはそういう「こんな人」「あんな人」っちゅう「ラベル」も必要なんやけども、それだけではないっちゅう事をわかっとらないかんな。

例えば、ワイの身近にもこんな例があったで。

普段は控えめでおっとりしゃべる感じの女性がおったんやけど、その人はカラオケに行くと、大きな声で感情豊かに抜群の歌唱力で歌うんや。

ワイは単に「歌がうまいんやな」と思うたけど、その場におった他の人たちが「カラオケだと性格が変わるんだね」と言っとったんや。

そうなんや。他の人たちはその女性の「控えめでおとなしい性格」を「控えめでおとなしく歌う」に結び付けとったんやね。

多くの人は他者に「ラベル」を貼っとるから、そのラベルに書とらん事や書とることに結び付く行動以外は「他の性格」って評価しがちやねん。

性格は「単純なラベル」やないし、ましてや自分が知っとる他者なんて、学校、会社、サークルなんかの特定の場所や特定の状況におけるある特定の状態でしかないんや。

もちろんどんな場所でもどんな状況でも性格的、身体的な「傾向」は出るのかも知れへんけど、それでもそこに現れる性格は、単に自分が知りえる非常に狭い一側面でしかないっちゅうことやで。

せやから、他者の評価については、ごく限られた情報から知っているだけの一側面であるっちゅう認識が必要やし、これは「私」に対する評価でも当てはまるんや。

自分自身の自己評価をするときに多数の事例から「傾向」を見て、それを「私」と認識しとるかもしれへんけど、そこには「例外」はないやろか?

あるいはまれにしか経験せえへん「状況」や「場所」では違った行動や考えをしとらんやろうか?

「私」が何者であるかを認識するときには「例外」や「少数事例」を排除せえへんで、よく思い出してみることや。

もちろん本当にたまたまの「例外」もあると思うけども、単に経験した数、サンプル数が少ないだけなんかも知れへんし、その状況にもっと数多く遭遇しとったら、その少数事例での考えや行動こそが「私」の傾向である場合もあるんやで。

「私」についての「例外」や「少数事例」を含めた、ありとあらゆる「私の側面」に光を当てて認識することで、「私」の可能性が広がるちゅうこともあるんや。

自分の過去の考えや行動の「宝の山」に潜む「既にここにある様々な私」を探してみると「私」に対する認識の幅が広がるで!



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