のらネコキャリコンのお役立ちコラム&ニャース

その行動や判断は「あんた自身」がじっくりと考えたり、しっかりと判断した結果なんやろか?
ワイがなんでそう考えるかっちゅうたら、人の行動や判断は実際には単なる「反応」ちゅう事が非常に多いような気がするからなんや。
なんちゅうか、肉体の「反射」と同じようにしっかりした思考っちゅうプロセスを経ることなく、あらかじめ決まっている「反応」をするような感じなんやな。
ほら、熱いものに触れたときに手を引くやら、まぶしい時に目を閉じるやら、膝を叩くと足が跳ね上がるみたいなんと同じやね。
実際よう考えると思い当たるやろ。
ある特定の言葉や状況に「怒る、笑う、泣く」ちゅう反応をしたり、ある状況では必ず逃げるやら、気持ちが落ち込むやら、気分が高揚するやら、スリッパを見ると右から履くやら、習慣ともいえるようなもんやないやろうか。
これらはまさに「反応」やね。
人間は常にいろいろ考えているような気になっとるかも知れへんけど、実際は、日常生活の大半は「反応」でできとるんちゃうやろか。
いうても、いつもいつもしっかりと考えたり判断しなければならないっちゅことになると疲れてしまうやろし、そもそもいろんなことが素早くできなくなるっちゅう面はあるんや。
せやけど「人間の行動の大半は『反応である』」っちゅう認識をきちんと持っとらんと、考える事がすぐでけへんようになって、常に『反応』することしかできひんようになってしまうで。
そうなるとや、正しい行動や判断がでけへんようになったり、レベルアップもしなくなってしまうんやで。
また、誰かに対応したりやとか、何かをやるとき、どこかに行くとき、常に反応しかしとらんと新たなチャンスを見落としてしまってつかみ損ねる。
それどころかチャンスの存在自体に気づかんっちゅうことにもなるんやで。「日常」にも結構チャンスは潜んでるもんや。
普段は『反応』で対処している人や状況でも、時には冷静になって「よく見て、よく聞いて、良く感じて、よく考えて」みた方がええな。
おとぎ話の「青い鳥」のように、実は求めているもんはすでに自分のそばにあった、ちゅう場合もあるんやで。
その行動や判断は「反応」やないか?よう「考えて」みるんやで!



